これを「百合」というやつらは刺す

いつ“そう”思ったのか、“そう”しようと思ったのか、そこの記憶はすっぽり抜けている。何度か思い出そうとするのだけれども、その度に結論は「思い出せない」で終わる。

けれど、ずっと自らの鎖――というか重し、のようなものにしていることは事実だ。

「悪魔に魂を売ってでも、この女を守ると決めた」

「この女が悲しむような選択は絶対にしない」――と。

ここでいう「この女」というのは、幼馴染のことである。

 

 

 

幼馴染との出逢いは幼稚園の頃だ。その頃から仲が良くいつも一緒だった、というほどの距離感では(実は)なかったが、これまでの人生のほとんどを共有してきた相手は幼馴染だけだ。

幼稚園から中学校が同じで、スイミングスクールが一緒だった。幼馴染の元カレ(その時点で)の葬儀の時も寄り添っていたし、大学時代の通学時に電車内でうとうとする幼馴染によく肩を貸した(2人とも田舎の実家から都心に通っていた)。おれが新卒入社した会社で色々と泥沼に嵌って四苦八苦していた時も職場の罵詈雑言を辛抱強く聞いてくれていたし、退職後に転職ではなく大学院に進学することを、何も言わず受け入れてくれたのも幼馴染だ。幼馴染が今の夫からプロポーズを受けた時に(家族を差し置いて)最初に報告をした相手はおれだし、おれが今の会社から内定を貰ったのを最初に報告したのも幼馴染だ。

そんな幼馴染をおれは「おれの片割れ」「唯一無二の女」と勝手に定義づけているけれど、本人にそれを伝えたことは、実をいうと一度もない。“仲の良い「女」友達”として、適度な距離を保ち続けている。

その幼馴染が妊娠した。出産予定日は2ヶ月後、おれの誕生日の近くだという。

予感はしていた。まあ結婚して数年経つし、夏辺りに何週間か前から遊ぶ約束をしていたのに突然「具合が悪くて病院に行きたいから、遊ぶのキャンセルでいい?」と連絡を入れられたこともあったし。その後に出張土産を渡しに家まで行ったら、顔面蒼白で出迎えられたこともあったし。(自転車で10分の距離に住んでいる)

そう、だから分かっていたのだ。これまでと同じように「他の誰をも差し置いて、おれに真っ先に報告する」ということができない分類であることも。

遊ぶ約束をキャンセルされて以降、はじめてお茶をしたとき、幼馴染は自分からは何も言ってこなかった。だから「この間のことだけど、急に体調が悪くなるような要因が何かあったの?」と、ほとんど話さざるを得ないような状況を作り上げて、おれは幼馴染に「そう、実は妊娠5ヶ月目なんです」と報告をさせた。その時のおれの感情はどうだったかって?

正直に告白する。

「無」だった。

まさか「悪魔に魂を売ってでも守る」と決めたはずの幼馴染に対してこんな感情を抱くとは思っても見ず、そのことに逆に動揺した。え、本当に?というような感じで。もっと彼女の夫に対して嫉妬すると思っていたのに(おれの幼馴染だぞ!的な感じで)おれの胸中は大変に穏やかだった。子どもができることはおめでたいことだと分かっているが、おれ自身が子どもを産まないと決めていることもあって(これを幼馴染に話したことはない)心の底から湧き上がる「おめでとう!!!!!!」というような気持ちもなく、「ああそうなの、やっぱりね。まあこれに関しては言う順番があるし、安定してからじゃないと公言できないもんね」とあっさりと、なんてこともないように告げた。「うん、そうなの。さすがね、分かってくれてるね」と言った幼馴染が少し嬉しそうに見えたのは、そうみたいおれの願望だったかもしれない。

 

 

 

妊娠したとはっきりと告げられた後から湧いてきた感情は、きっと自分の中で作り上げた「物語」だ。

「子どもが産まれたら、本格的に“家族”になる。その中におれは入っていくことはできないから寂しい」だとか。「離婚して母子家庭となったところで、その後の人生の相棒としておれを選んでくれないかな」とか。そう思うことによって、おれは誰かを愛せる人間だということをおれ自身に証明したいのかもしれない。

幼馴染が夫と別れることはないだろう。夫は幼馴染にベタ惚れだし、何だかんだ文句を言いつつも、幼馴染も夫を信頼していると思う。人生に何が起きるかわからないけれど。でも、そう確信している。

 

 

 

そういう「設定」だと分かっている。幼馴染が大事であることも悲しい思いをしてほしくないことも事実だが、「悪魔に魂を売ってでも守る」といって幼馴染に執着するふりをして、そういう「設定」にして、そうしてどうにか生きようとしていることは分かっている。空虚だな、と思う。孤独だな、とも思う。人生のほとんどを共有してきた相手にすらこうなのだ。おれはきっと、本当の意味で誰かを愛せることはないのだろう。そう感傷に浸りながら、それでもその「設定」で生きていく。そう決めたのだ、おれは。