どこにだってある、どこまでもある

上長を怒らせてしまった。
おれが悪い。ミスと確認不足が重なり、それを修正する為に、 忙しい中で別部署の上長に話を通してもらった。 お互いが悪いという痛み分けの方向で話が落ち着いていたのに、 最後の最後でおれがやらかした。 上長の気持ちを考えない言動をしてしまったのだ。
指摘されて肝が冷えた。あ、やっちゃった。 人を怒らせないようにと生きてきたので「人を怒らせてしまった」 という事実に、背筋が凍った。
謝罪して、それでその場は済んだ。 きっとこれを上長は引きずらないだろうとは思う。
だがしかし、もやっとする。


入社してから初めて上長に怒られた。 それまでも色々とやらかしていたが、 上長は冷静に対処に当たってくれていた。おれは一体、 いつこの人に怒られるのだろうと、 ぼぅっと考えていた矢先のことだったのだ。


なぜこのタイミングで怒ったのか、と考える。
何も言わずにいたけれど、 これまでもこういう怒りポイントはあったのだろうなと思う。
実はその怒りポイントに、心当たりがいくつかある。 総じて自分が悪いと思う。 相手の気持ちを考えた言動ができていなかったから。
だけど、直後に思った。
おれもアンタに言いたいこと、ひとつあるんだが?と。


入社2ヶ月目、とても大きな展示会に参加した時。アンタはおれを「人間」ではなく「 女体」として、客引きをしようとした。
おれの性自認がFtXでなかったとしても、 あれは完全アウトなハラスメントだった。

しばらく引きずった。何ならその週明けは急遽在宅勤務にした。 ふと気持ちが切れて涙が出てきた時、 周囲にどう誤魔化せばいいのかわからなかったのだ。
実は、未だに周囲の誰にも言えずにいる。話すことはカミングアウトに繋がるのだ。おれはカミングアウトをできればしたくない。話した相手の反応が怖くてたまらないから。


こうやって色んな要因が絡まり合って、 おれはあれで深く傷ついたことを、未だに誰にも言えずにいるのに。

時たま思い出してしまって、ひとりで泣くのに。
同時に、 昔別の男から言われたことも思い出してしまうというのに。


アンタは言うんだな。言えるんだよな。
おれは誰にも言えずにいるのに。


ここに確かにある力関係、優位性をそうやって読み取って、 もやっとしてしまう自分が嫌だ。ただ“上長を怒らせてしまった。 自分が悪い。次から気をつけよう”とすればいいのに。


自分が悪いと思っているなら、こんなものを書くなよ。なあ。