この身体の中に巣食っていく怒りを いつも上手に吐き出せない

時系列ガン無視でトピックで書き殴った。誰かに読ませる文章ではない

 

・出張

急に出張が決まり、慌ただしく準備をして向かった。同行者は年上の後輩(男性)。ひとりではなく同行者ありだから、食事を共にしなければならない。年上の後輩という微妙な立場であるが、年も近い方だし、気軽に話せる相手だから特に気にはしていなかった。

ただ、食事の度に「出させてください」とおごられて、なんだかなあという気持ちがあった。出張にいくと、日当がでる。大体は出張中の食事代と土産代で消えるが、工夫すれば手元に残る。同行者はまだ小さい子どもがいるし、これから先しばらく出張が続くという。その日当は家族のために持って帰れよ。こんな言い方じゃないが同じ意味で伝えたが、それでも、という感じだった。そこまでして奢られる理由などない。なんだかなあという気持ち。

男性に食事代を出される度に、出させてもらえたとしても少ない額になる度に「それはどういう意味ですか?」と訊きたくなる。おれが「女」だから? それとも年下だから? 詰め寄って吐かせたい。そして「女」だからと言われた瞬間にブチ切れて顔を殴りたい。しねと吐き捨てたい。そういう欲望がこの身体の中で渦巻いていることを、わかっている。

 

・期中面談

もう年度も半ば。期中面談を行うとのことで、ボスとマネージャーとチーフとの期中面談があった。面談前の雑談として、マネージャー(男性)が家では年下の妻の尻に敷かれているという話があり(尻に敷かれているのではなく、マネージャーにデリカシーがないからそうなってんだろうなと思っている)チーフ(女性)から「こういう夫婦関係もあるからさ、今後の参考にしなよ」と言われた。瞬時に「ッす!」みたいな返事をしたが「実はおれ、結婚したくないんすよね~~~」とでも言ってやればよかったんか。

先月の頭に行ったチームの飲み会で恋とか愛とかの話になったとき、「そういうの間に合ってます」と言ってしまったからだと推測される。この「間に合ってます」は、もうすでに相手はいるから間に合っている、じゃなくて、そもそも必要としていないから間に合っている、という意味だったのだけれども。まあ「「「普通(←皮肉を込めている)」」」は前者で取るよなとも思う。

人類、あたり前のように全員結婚すると思われていることが苦痛だし、ヘテロだと思われていることも苦痛だ。そして目の前の人間がシスヘテロではない可能性を想像もしていない相手に疲れてしまう。へえ、そうか、そうなんだ。そうとしか考えられないんだね、みたいな感じで。でも仕方ないじゃん、と考えてしまう自分にもうんざりする。何も仕方なくなどない。何も知らないのはそっちだろ。お前らが学べよ

 

 

 

・先輩の産休

チームの要となっていた先輩が、来年2月を目処に産休に入るという。それに伴って、いくつか仕事を引き継ぐこととなり、新しく覚えなければならないこと(結構責任が重い)がどどんと増えてきた。

先輩のご懐妊、なんとなくわかってはいたよ。だって在宅がずっと続いているし、たまに出てきてもゆるっとした服装をしているから。先輩が抜けること、そして来年からひとりで色々やらねばならないことにドキドキしている。怖いな、と思う。先輩に頼れないなら誰に何をどう伝えて頼ればいいんだ? 頼るというよりは泣きつきか。ぐう

しかもどうやらそれとはまた別に人が減り、来年度から仕事量が、ぐっと増える様子。どちらも結構責任が重い分類だ。「何か不安なことはある?」と、おれに先輩の産休を告げたボスに、最後のまとめとして訊かれたが、①雇用契約はこのまま有期契約社員なのか。②来年度、年収はどれだけ挙げてもらえるのか。以上2点がとても気になる。が、なんだか話せる雰囲気ではなく「今のところ大丈夫です」で済ませてしまった。上長たちに年収の話とかあまりしたくないな、と思う。迫りたくないのだ。で、お金は?というところ。おれの生活と人生がかかっているけれども

 

 

・祖母の誕生日

出張準備や出張ですっかり忘れており、当日朝の母からの連絡で気づいた。そういえばそうだった。慌てて青山フラワーマーケットのオンラインで花を注文する。夕方くらいにビデオ通話をしてほしいと言われていたので、ほどよい時間に、母宛てにビデオ電話をする。

10月に冬物を取りに帰省したから、特に久しぶりというわけではなかった。近況を話し、出張の話をしていたはず(2日間、ずっと話していたので帰ってきたら喉が枯れていた、など)なのに、何の文脈もなく、いきなり祖母から「ひ孫がみたい」と言われて、素で「は?」と言ってしまった。

「甥がいるだろう」と言ったら「お前のひ孫がみたい。祖父さん(10年以上前に他界している)への手土産がないじゃないか」と返され「何を贅沢なことを言っているんだ。甥で十分だろう」と言ったら、画面の向こうにいる母の方をみて「なんか言ってるぞ」と揶揄われた。老人は耳が遠いことを理由に、時々こういうことを言う。何なんだ。それ以上話したくなかった。通話を切る際の、母のなんとも言えない表情が印象に残っている。

「ばあちゃん、それはおれに死ねって言ってるのと一緒だよ」

そう言ってやればよかったのか。

 

ビデオ通話を切った後、父方の祖母のことを思い出した。昨年、会いに行ったときに、いい人はいるのかなんて一切口に出さず、「仕事はどう?続けられそう?」と話してくれたのがとても嬉しかった。姉の結婚式で会った時も、おれが大学院に進学したことを否定せず、むしろ「昔からあなたは勉強すると思っていた」と言って肯定してくれて、「これで本を買いなさい」と封筒を渡してくれたこと、とても大事な思い出としておれの中にある。

2人とも同世代で、同じように地方の田舎出身だ。それだというのにこうも違うものなのか。まあ父方の祖母はその年代の「女性」では珍しく運転免許証を持っているし(割とつい最近まで自分で運転していたらしい。マジかよ祖母ちゃん)めちゃくちゃお喋りだし(電話口でひとりで10分くらい話す)本をたくさん読むひとだから(部屋に月刊の『文藝春秋』が積まれているのを見た)そういう違いもあるのかもしれないけれど。

 

母方の祖母の人生に思いをはせる。そしてその娘として生きてきた、母の人生にも。姉の人生にも思いをはせ、おれ自身の人生にも思いをはせる。この国の過去の「女」たちの人生、生活、政治、戦争、教育にも思いをはせる。

 

母方の祖母は幼い頃に両親を亡くして、姉弟で生きてきたという。多分、必要最低限の教育しか受けておらず、狭い範囲で生きてきた。考え方も、コミュニティも、行動範囲という意味でも。「女」は結婚して子どもを産むのが仕事で幸せである、という社会から刷り込まれた「正しい価値観」を90歳になった今変えろと言われても無理なこともわかる。でも祖母ちゃん。おれさあ、結婚したくないし子どもも産みたくないよ。どうにか頑張ったらやれるのかもしれないけどさあ。それはおれに死ねって言ってるのと一緒だよ。おれの「したくない」って気持ちを殺して生きろってことだよ。心がズタズタにされるんだよ。嫌なんだよ。できないんだよ、したくないんだよ。知っちゃったからさ。それがどういう意味になりえるのかってことを。

しばらく実家と連絡を取りたくないなあと思っていたら、姉に出張土産を渡しに行ったときに母からまたビデオ通話がきた。誕生日の花が届いたという。嬉しそうに花束を抱えて、祖母に礼を言われたけど生返事だった。自宅でひとりの際に取ったら、なんか変なことを口走っていたかもしれない。姉さんがいるときでよかったなと思う。ああ、ちなみにこれは姉が理解者であるという意味ではない。

 

・資格の勉強

3月に受けたものの、見事惨敗。むしろあの勉強量でよくあの点数が取れたよなと感心するレベルだった。期中面談のとき、上長たちに「12月に試験を受ける」と言ってしまったので、勉強を再開させたが、何度読んでも何度やっても、テキストの言っている意味が本当の意味で理解ができない。試験というものが苦手で、こういう暗記系の勉強や振り返りが苦手だということ、おのれの頭の悪さに気分がふさいでいき、勉強しようとコメダ珈琲に入ったのに、結果くどうれいんの「うたうおばけ」を読んで逃げた。あ~あ どうにもならない気がしてきた。もう何もかも駄目なのかもね

 

・ガザのこと

報道を見る度に、ぞっとする。この同じ社会の中で虐殺が行われているというのに、SNSにはいつもの日常が流れていて、そんなものはないと言わんばかりのキラキラした情報が溢れている。会社の近くには例の国の大使館があり、ここ1ヶ月、警備のためか警察車両がずっと路肩に停まっている。その台数も、ある時は減り、ある時は増える。会社では誰も話題にしないということも怖い。すぐ近くで起きていることだというのに。

実は、慌てて行ったその出張先は三重県、何なら伊勢だった。滅多に行ける距離ではないし、伊勢神宮に行ってみようと話になった。時間が無かったから外宮の方だけみた。樹齢ウン100年の木々たちが太陽の陽を遮っていて、境内の空気は冷えていて、とても物静かだった。同行者は「なんかメッチャ空気変わりましたね。神聖な感じが……」と言っていたが、陽が遮られるのだから空気が冷えるのは当たり前では?と思って「そうっすか?」と適当な返事をした。

境内の脇に人工的な施設があり、それがどういう意図で建てられたものなのかの説明書きがあった。我々と何も変わらない人間に対して、明らかにビジネスでも使わない、神だとかの上位存在に使われる尊敬語がつらつらと使われていて、ああ、と思った。人間ではなく、神に使われる尊敬語。それだけで、ここがどういう「スタンス」であるのかがわかる。この神話の、この延長線上に差別と虐殺がある。命を選定すること、命に優劣をつける考え方、「血」に価値を置く、その社会的な文脈。この先にあるものが、あれなのだと理解した。

出張準備に気を取られていて、よく調べずに行ってしまったという後悔もある。帰ってきた後に簡単に調べてみただけで、ああ、出て来るでてくる。おれの存在を否定する文章やらなんやら。はあそうですか。大層なことですね、とも思う。もう2度と行かないだろう。

 

 

・ハラスメントセミナーへの“ご意見”

社内で行われたハラスメントセミナー、大々的な告知をした割には「この程度か」という内容だった。セクハラに関しては、シスヘテロ恋愛至上主義の場面しか想定されておらず、おれは存在しないもの、想定さえされていないものでしかなかった。い、居場所がねえ~~と思ってちょっと泣いた。受講後はぐったりした。

透明化されるのは我慢ならない、書かねばならないと思って意見文を書き、匿名で提出した。きちんと受け取られたのだろうか、おれの意図する意味で。誤差が生じていないことを、祈るしかもうできない。

せめて最後の一文、皮肉と軽蔑と怒りを優しく包んで書いてやったあの一文が、読んだ相手に伝わっていますようにと思う。